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静岡地方裁判所浜松支部 昭和31年(モ)121号 判決

申立人 羽立工業株式会社

被申立人 ゼ、カアルトン、タイヤ、セエビング、コムパニー、リミテツド

主文

本件申立は却下する。

訴訟費用は申立人の負担とする。

事実

第一、当事者の主張

申立人訴訟代理人は、当裁判所が昭和三一年(ヨ)第四三号特許権侵害禁止仮処分申請事件について同年五月三一日にした仮処分決定は、申立人に保証を立てさせた上取消す、との判決を求め、その理由として次のとおり陳述した。

静岡地方裁判所浜松支部は、昭和三一年五月三一日、被申立人を申請人、申立人を被申請人とする前記仮処分申請事件において、被申請人は登録第一九五七四七号特許権の権利範囲に属する可塑物(可塑性物質又はプラスチツクとも称する)製羽子の製造、販売、拡布をしてはならない、被申請人の可塑物製羽子の既成品、半製品に対する占有を解き、申請人の委任する静岡地方裁判所執行吏にその保管を命ずる、執行吏は右物件を封印その他の方法により使用及び販売できぬようにしなければならない、旨の仮処分決定をした。

右申請の理由要旨は、申請人は、日本国において特許第一九五七四七号(昭和二七年特許出願公告第一九六二号)可塑物製羽子の特許を有しているものであるところ、被申請人は、右に類似するバドミントンシヤトルコツクを製造して右特許権を侵害し、そのため、申請人は回復することのできない損害を蒙るから、被申請人の右バドミントンシヤトルコツクの製造販売の禁止を求める、というのである。

しかして、本件申立人の製品であるバドミントンシヤトルコツクは、申立人が正当に有する権利であるところの

特許第二〇九三一一号   バドミントンシヤトルコツクの空胴体の特許権

特許第二〇九三一二号   バドミントンシヤトルコツクの羽根付円盤体の特許権

実用新案第四三九七七三号 バドミントンシヤトルコツクの打球体の実用新案権

実用新案第四三九七七四号 バドミントンシヤトルコツクの実用新案権

に基いて製造しているものであつて、現に昭和二九年一二月二三日通商産業大臣から発明実施化試験費の交付さえ受けている我国有数の工業的考案及び発明に基く製品であり、いささかも申立人の権利を害する性質のものではない。よつて、これに対し、申立人は本件とは別に、被申立人に対し前記仮処分に対する異議の申立を提起する外、本案訴訟においても抗争を行わんとするものである。

しかしながら、申立人には、次に述べるような前記仮処分の取消を求め得る特別の事情がある。

被申立人は、前記仮処分申請の理由中に回復できない損害を蒙る旨を主張しているが、これだけでは果して如何なる或は幾何額の損害を蒙るのであるかを審かにし難いが、仮りに被申立人の主張するとおり何等かの損害が発生するとしても、その損害はすべて金銭的損害であり、或はその他精神的損害をも主張することがあるとしても、すべてその蒙ることあるべき損害は金銭によつて償われ得る性質の損害であることは、その主張自体において明かである。仮処分によつて保全される権利が金銭的補償によつて終局の満足を得られる場合は、民事訴訟法第七五九条にいわゆる特別事情に該当するものであることは、既に学説判例の一致する意見で現在維持されているところであつて、本件の場合はこれにあたるものといわなければならない。

以上の次第であるから、申立人は被申立人に対して、保証を立てた上前記仮処分決定の取消を求める。

被申立人訴訟代理人は、主文と同趣旨の判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

申立人の主張事実中、被申立人が申立人主張のような理由に基いて仮処分を申請し、申立人主張の仮処分決定がなされたこと、申立人代表者が申立人主張の特許権及び実用新案権を有することは、いずれもこれを認めるが、通商産業大臣から交付金を受けたとの点は不知で、被申立人の特許権を侵害しない旨の申立人の主張は、仮処分に対する異議申立の理由であれば格別、特別事情に基ずく取消を求める本件においては、何ら適法な理由となりえない。被申立人の蒙るべき損害が、金銭によつて償われ得る性質のものであるから民事訴訟法第七五九条にいう特別事情に該当するとの主張は否認する。

およそ、仮処分によつて保全しようとする権利は、その性質上必ずしも金銭的利益と等価値ではないが、個々の具体的場合においては、例外的に、これが等価値である場合もあり得るので、そのような場合に限りこれを理由として、保証を条件とする仮処分の取消を命ずることができる。本件においては、仮処分によつて保全しようとする権利は特許権であつて、申立人がこの特許権を侵害する可塑物製羽子を製造販売することにより、被申立人が特許権を実施させているメトロスポーツ株式会社の製品の販売及び収入の減少、ひいては被申立人が右会社から取得すべき報酬の減少を来すので、これを防止することが仮処分の目的であることはいうまでもない。そして、この限りにおいては、被申立人の請求権は金銭的補償を以て足るものということができる。しかし、被申立人は、特許権者として、前記の金銭的利益の外、精神的所産である工業的発明そのものに対する保護を求める利益、すなわち、特許権の侵害に対して、単にその金銭的賠償を求めるだけでなく、むしろ侵害そのものの排除を求める利益を有するのである。それ故、仮処分によつて保全しようとする権利は、金銭的利益と等価値とはいえない。

次に金銭的補償が可能であるとして、特別事情を認定するためには、金銭的補償と仮処分との等価値性を慎重に検討しなければならぬことは、通説、判例の立場である。

本件について考えると、申立人との競争の結果、被申立人の特許実施権者であるメトロスポーツ株式会社は、本件特許による製品の価格を数次にわたり引下げざるを得なかつた。もし仮処分が取消されれば同様の事態を生じうべきこと火を見るよりも明かである。しかして、一旦低下した市場価格を再び妥当な価格に引上げるということは到底不可能である。かゝる場合、被申立人の蒙る損家は著しく大きいが、しかもその範囲は極めて漠然としており、損害額の立証は全く不可能といつても過言でない。

又、被申立人は、本件特許と同旨の特許権を、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス等世界のあらゆる先進国を含む二六ケ国で所有している。これらの諸国に申立人の製品が輸出される場合、当然被申立人の製品の販売の困難、市場価格の覚乱が惹起されることは疑ない。これを輸入した諸国において一々販売の差止を為すことは極めて煩瑣であるのみならず、万一申立人の商品が、被申立人において特許権を得ていない諸国に輸出された場合には、これを防ぐ何らの方法もない。こうした点からも、仮処分の取消される場合、被申立人の蒙る損害は極めて広汎であり、かつその立証は著しく困難である。

かかる意味において、本件被申立人が仮処分によつて保全しようとする権利は、金銭的賠償と等価値とはいい難いので、本件申立は失当であり、当然却下されねばならない。

第二、疏明〈省略〉

理由

被申立人の申請にかかる静岡地方裁判所浜松支部昭和三一年(ヨ)第四三号特許権侵害禁止仮処分事件について、同裁判所が同年五月三一日申立人主張の仮処分決定をしたこと、及びその申立の理由の要旨が、申立人主張のとおりであることは、何れも当事者間に争がない。

よつて、本件仮処分における被保全権利は、金銭補償によつて終局の満足を得られる旨の申立人の主張につき判断する。

まず、民事訴訟法第七五九条の立法趣旨につき考えてみる。同法第七五六条により仮処分の命令その他の手続は原則として仮差押の命令及び手続に関する規定を準用すべきものであるところ、仮差押は、金銭債権又はこれに代えることができる請求権の保全のためにするものであるから、債務者において充分な保証を立てれば、たとえ仮差押を取消しても債権者は右保証によつて請求の満足を受け得られるが、仮処分にあつては、これと異り、特定物に関する請求を保全し、又は係争の権利関係について仮の地位を定めるためにするものであるから、保証の提供のみによつてその取消を許すと、債権者は満足を受け得られず、仮処分は無意義となるのが通例である。しかし、仮処分が被保全権利の未確定の間に簡易迅速に与えられる強力な手段である点においては、仮差押と異ることがないから、保証の提供によつても常に取消すことができないとすると、債務者に酷に失し公平の観念に反する場合があるので、これを調和するために、特別の事情がある場合に限り保証を立てさせて仮処分の取消を許容する規定を設けた。これが、民事訴訟法第七五九条であつて、同条は、仮差押の取消に関する同法第七四三条、七四五条第二項後段、七四七条第一項後段、七五四条第一項等に対する特別規定であり、同条にいう特別事情とは、債務者からの保証供託があるに拘らず、当該仮処分を存続させるのを、公平の観念上不当とさせる事情であるということができよう。

しかして、仮処分中には、金銭的補償を受けることによりその終局の目的を達することができるものもあり、かような場合は、前記立法趣旨に照し右事情があることの一事により独立して右法条の特別事情に該当するものと解せられることは申立人主張のとおりである。

しからば金銭補償により終局の目的を達し得るとは、如何なる場合をいうのであろうか。被保全権利が財産権であり、金銭賠償が可能であることを必要とすることは論を待たないけれども、ただ抽象的に金銭賠償が可能であることだけでは不充分である。民事訴訟法第七五九条の立法趣旨であるところの前記債権者、債務者間の利益擁護の公平という観点からして、被保全権利の実現と金銭賠償によつて受ける利益、換言すれば、仮処分と提供された保証とが、等価値でなければならない。そして、この等価値であるか否かを決するには、被保全権利の性質当該仮処分の種類内容、仮処分の必要性の程度、仮処分の取消によつて生ずるであろう損害発生の蓋然性、従来の権利行使の状態、賠償請求権行使の難易等諸般の客観的事実を綜合して価値判断しなければならないと解する。

本件についてみるに、被申立人が本件特許権をメトロスポーツ株式会社に実施させていることは、当事者間に争がないから、被申立人が本件仮処分によつて受ける利益の中には、被申立人主張のとおり、申立人が被申立人の特許品である可塑物製羽子を製造販売することによつて生ずる右会社の販売及び収入の減少、ひいては被申立人が右会社から取得すべき報酬の減少を防止することが含まれていることが認められ、この誤りにおいては、金銭賠償は可能である。しかしながら、被申立人が本件仮処分によつて受ける利益は前記の金銭的利益に止まるものとは解し難い。即ち、被申立人は、特許権者として前記金銭的利益のほか、その精神的所産である工業的発明そのものに対する保護を受ける利益、ひいてはその信用名誉をも保持する利益、換言すれば、金銭的賠償を求める利益だけでなく、その侵害自体の排除を求める利益も有するものと認められるからである。従つて、本件仮処分における被保全権利は、金銭賠償によつて受ける利益と等価値であるということができない。

又特許権を有しない者が他人の特許権を侵害して商品を製造販売する場合は、勢の赴くところ販売競争を惹起し、売込の困難、販売数量の減少、価格の引下、販売並びに宣伝費用の増加等をもたらし、特許権者に損害を蒙らせることになるのは通例であつて、本件の場合、本件仮処分を取消すことにより前記の状態が現出されることは容易に推認されるところである(申立人は、被申立人の特許権を侵害していない旨陳述しているが、仮処分異議申立事件ならばともかく、特別事情による仮処分の取消を求める本件においては、右侵害の有無は判断の対象となり得ない)。従つて、本件仮処分を取消されることによつて将来発生すべき前記被申立人の損害の範囲及び額の立証は著しく困難であるといわなければならない。被申立人の有する本件特許はバドミントン競技用の羽子に関するものであることは当裁判所に顕著な事実であり、従つてこの特許を利用した製品は世界的な販路を持ち得るものといえるから、申立人の製品が国外に輸出されるようなことがあれば、前記の困難性は更に増大するものとみなければならないであろう。してみると、被申立人は、本件仮処分を取消されることによつて、たとえ保証金の提供があつても、賠償請求権を行使するにつき、損害額の立証に著しい困難を来たす不利益を蒙るものといわなければならないからこの点においても本件被保全権利は、金銭賠償によつて受ける利益と等価値ということができない。

以上何れの観点からしても、本件被保全権利は、金銭的補償により終局の目的を達し得る場合に該当しないので、申立人の前記主張はこれを採用することができず、他に本件仮処分を取消すべき特別の事情についての主張立証がないから、本件申立は理由なきものとしてこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 播本格一)

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